アルファギークがこっそり教えてくれるボーリングの真実



家事育児を頑張る!と心に決めた あの日。
キラキラママ♡子どものためにと家事育児を完璧にこなし ママ友と楽しくてランチして、夫の帰りを待つ 健気な妻・母はどこにもいませんでした。
いるのは、常にイライラし 時間通りにしか過ごせず 全然笑えなくて 髪の毛ボサボサのガリガリのやつれた26歳 かたやままゆでした。
早速 見つけたのは ボーリング場の事務員。
(事務員を過去に一度挫折しているにも 関わらず 懲りずに応募するというね、、アホ)
しかし 面接当日、事務員の募集で事務員として面接へ行ったにも関わらず「フロントよろしくー!」と採用され 「はっ?フロントやだやだ。まぁ、悪くないかなぁ」と思いつつ、フロントのパートタイマーとして働き始めました。
そして、私とは別の人がその後に事務員として入社してきたのでした。。(やっぱり 事務員不足だっじゃん)
息子が1歳3ヶ月の頃から
週3回、9:00〜15:00。
一時保育を利用して子どもと離れる念願の念願の念願の時間をGET!
しかーし、ここでも私は、、、。
特に3歳未満を預ける事に対して、変な方程式がありましてね。
“働かずして、他人様に我が子を預けるなんて 駄目なこと。”
「自分自身で育児できません。」って言っているようなものだと、思っていたんです。
だから、子どもと離れる為には「働く事」
は絶対条件だったんです。
条件無くして 子どもを預けるのは悪!的な(笑)
要するに”頑張ってない人はダメ”ってこと。
今はその人はその人なりの理由がある。
子どものサポートと親のサポートは別のことだな、と切り離して考えられるようになりました。
だから、子どもと離れるための条件は作らなくてもいいんだな〜、理由なんて何でもいいんだな〜ってね。
そして、「辛くて 育児ができません!」って堂々と言えたほうが楽なんだなぁとも。
パート生活が始まって パーラダイス!な私。
早起きは全く変わらないので 出発時間まで4時間はある。身支度も夜ご飯の準備もできちゃう♡
とても×100 嬉しかったのを今でも忘れられません。
・子どもに振り回されない。
・一つのことを、終わりまでちゃんと出来る。途中で遮られない!
・人と会話ができるー!!
休憩時間なんてものもあってね、幸せだった。
仕事へ行くことで、私が私らしくいられる気がして 日々の生活は何一つ変わってない(早起き 夫仕事多忙 夜泣き )のだけど、ハリが出るっていうか とにかくハッピーだった。
少し離れる事で、自分を立て直す時間がもてるというか。
家庭生活は至って普通でした。働くことにも、夫は理解を示してくれたし、健康が取り柄な息子に助けられ 私は週3回 仕事へ行く事ができました。
気持ちに余裕ができたのか、地域の子どもサークルへの入会もしました。
月2回程度だったかなぁ、仕事のない日に参加し、地域の運動会にみんなでダンスで参加したり、少し前までは、あんなに人と会ったり話したりすることが面倒くさくて 限られた人とのコミュニケーションしかできなかったのに 仕事を始めたことで 少しずつ前の自分に戻っていける気がして頑張れた。(結局、前の自分ってなんだ?になるんだけどね(笑))
しかし、私一人で出かけることには まだまだ 抵抗があり、規則正しい生活も絶賛継続中。
同級生とかの約束 誘われなくなったし、たまーに 気を使って誘ってくれるんだけど
「今さら 誘ってきても」とか
「話すことないやぁ」とか
「どうせ、また 断ることになる、、」
とかって ひねくれてまして
パートのない日は やる事なくて暇を持て余しつつ 自宅で過ごしたり 気が向いて子育て支援センターとかに行っては撃沈して帰宅し “あんなとこ 行かなきゃよかった”とブーたれ、次の日はパートへ ウッキウキで出かける。
育て支援センターなんて、髪の毛巻いて 化粧して ネイルして カワイイグッズ持ってさ、実家と友達の家と支援センターと行き来して、キャッキャキャッキャと楽しそうに話している人達が 化粧っ気もなく ひたむきに子育てを頑張っている一人で子どもと来ているお母さんに 我が子を押し付けて楽しむ場所。
ママ友なんてできないし
キラキラが眩しすぎる
という 意味不明な図式で見ていた私は
「子どもとめちゃめちゃ離れたい どうしようもない自分」を棚に上げて
「あんな母親(楽しく話している母達)にはなりたくないね。」と思っていたものだ。
私は子どもと離れるために、「働く」という武器を手に入れ、しかも 「仕事は毎日じゃありませんよ、子どもの面倒もみてますよ」という盾で 上手くいかない、やれない自分を守る事で精一杯だった。
髪の毛にまで難癖つけるんかーい(笑)って、そこじゃないんだけど、ほんと、どーでもいい 事までが羨ましかった。
ワイワイとコミュニケーションとれてる人が 羨ましかったし、なんの苦労もなさそうで、子どもを育てている人が羨ましかった。
“明るい 元気 話好き”な自分だったはずなのに、そんな自分は今はいなくて むしろ”人見知りで、面倒くさがりで 自分勝手”な自分がどんどん表面化されてる事が許せなかった。
だから、パート先は若い子から独身、年配の人など、様々な人がいて お客さんもバラエティ豊かで 私が話さなくても勝手に話が進んだり 話す状況になったり、子育て以外の面白い話が至る所で聞けた。そんな状況に 安心していたのだと思う、多分。
そんな生活も1年くらいした時に、昔お世話になった園長先生から電話をもらい、急遽、長男2歳3ヶ月から8ヶ月ほど保育士としてフルタイムで働くことを決めました。
ものすごく不安だったし、現実大丈夫なのか?と何度もシュミレーションしてみたけれど 全く想像がつかず、夫に「やってみればいい」と後押しされて 0歳児の担任へ。
長男は生活の変化をどう感じていたのでしょうかね?その当時は考えた事もみなかった。
私が可哀想かなとか 淋しいかなって一方的に思っていただけだし、そうだったとしても、私は毎日子どもと一緒の生活になんか 戻りたいと 微塵も思わなかったのです。
ただ、休みの日は家族で公園巡りをしたり 暇さえできれば遠出してみたり。家族らしいことをしなければならない!と新たに燃えどころを見つけた 私はとにかく 毎日を規則正しく 休みはお出かけ!と楽しいけど、息苦しい日々に何か違和感を感じていた(笑)
罪滅ぼしみたいな感覚でもあったかも、日々は何もしてやれない。だから、休みの日は”休息”よりも”あそび”が大事だと思い込んでいた。
早朝から延長まで預けられる 可哀想な我が子、だけれども 面倒みたくない私、むしろ働いていた方が楽しい。そんな 後ろめたさが その時は いっぱいあった。
イヤイヤ期と言われるこの時期に困った記憶がほとんどない。というか、時間に追われてイライラしてた。
半ば強引に2歳児を駆け抜けたかと。
今思うと とても残念なんだけど、いかに効率よく日々を過ごすか?に命をかけていた私は 息子の様子を見たり 気遣ったりなんて二の次だったんだなぁ。
(その時は 精一杯やっていたと思う。)
その当時は
手を止められる=回避できない、断れない
的な感じで 許せなかったんだと思う。
今ももちろん 嫌だけど 断ることも 待ってもらうこともできるようになって、マシになった(笑)
「子どもは自分で学んでいくもの」
「自由育児と放任とは違うもの」
「叱らなくても 気づいて 正しい行動ができること」
と信じていた私は こんなに 自分で精一杯で余裕がないはずなのに “私は保育士”子育て持論を展開するために ここでも 自ら心に負荷をかけていた。
夫にも 「できるだけ叱らないでね」と押し付けて、全然 いう事を理解してくれない息子にイライラしながらも 言葉で諭し”言えばわかる”と信じたかった。
それが、フルで仕事を始めると なんだか 思い通りなっていかない。
「私だって 疲れてる」
「早くご飯を作りたい」
「早くお風呂に入れたい」
明日も仕事なんだ、体調を崩すわけにはいかない、、。
家族を守りたい。と思っていたことは 全て自分を守ることであったと振り返る。
だんだんと 叱らないママから鬼のようなママに変化していく(笑)
(性格的に0か100ってことに 最近気づいたんですけど〜)
仕事ができてハッピーだった。
でも 子どもとの時間も確保したかった。
だけど、上手くいかない自分を上手くいかないなんて 思えなくて、子どもの行動がだんだんと目につく。。
続きはまた明日!
今ここにあるボーリング
今日のセドナはいいお天気。
午後から雲が出始めました。
まだまだ日差しは強いです。
今日はお隣の州からお友達 一恵さんが遊びに来ているので
午前中は一恵さんとチャムと私3人でテニスをしてきました。
レッドロックが見えるこの公園。
サンセットパークといい、誰でもコートが使えるんです〜!
ほぼ1年ぶりのテニス。
私が一人で足を引っ張っていました。。。。
が、楽しかったです。
そしてそのあと、キャンプベルデのボーリング場へ。
ボーリングは一恵さんとひろと私の対決。
3人ともマイボール、マイシューズを持っています!
月曜日の午後2時ということでなんと
ボールング場、貸切状態。
3ゲームづつプレイしました。
ひろは久々に199点を出しましたーーーーー。
200まであともう一歩。。。。すごい。。。。
そして私は予想通りビリ。
遊び疲れた1日でした。
いつも読んでくださりありがとうございます。
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