オリベ いろんな笑顔を結びたい
5年間で6つのタイトルを取り、その間それぞれが平等に5つ歳を取り、平均年齢の上がっていた鹿島は過渡期を迎えていました。この年、Jリーグでは不甲斐ない成績で終えてしまいましたが、ジョルジーニョ監督は最初から最後まで熱意をもってチームを引っ張ってくれました。
チームはずっと継続の中で作られているので、監督にとってもタイミングによって必要なことが変わり、それによって成績も変わってしまうように思います。監督は本当に大変な仕事だと思います。
ジョルジーニョ監督はとても選手に近いところにいてくださる監督でした。選手時代のプロとしての素晴らしさを語るエピソードも聞いていましたが、監督になっても変わらず尊敬できる人間性を持った方でした。
ただ、チームは開幕から思うような結果に結びつかず、指針の定まらないままシーズンを過ごしてしまいました。最後までなかなかJ1残留さえ決まらなかった状況は、自分たちで招いた必然だったと思います。
しかしこの年、サコ(大迫勇也)はエースとして独り立ちする予兆を見せ始め、ガク(柴崎岳)は2年目にしてレギュラーとして定着しました。
私も鹿島での10年で、個人的なコンディションやプレーの質など、1年を通してのパフォーマンスはベストと言える1年だったと思います。
残留を決められずにいたシーズン終盤のある日の練習後に、ジョルジーニョ監督に呼び止められたことがありました。通訳もいない2人だけの空間で彼は片言の日本語で、「アナタ、イマ、ディフェンス、フィジカル、キモチ、パス、グッド。」と話し始め、みんなに声を掛け続けてくれ、というジェスチャーをしたあとに、「ゼッタイ、J1。ライネン、イッショニ!」と力強く握手をしてきました。
やりがいを感じた私は、彼のためにも必ずチームを残留させなければならないと誓いました。
結局、残留しただけでなく、この年私たちは6シーズン連続タイトルとなるナビスコ杯制覇を成し遂げました。1年で退団されることになったのは意外でしたが、私たち選手と共に並列で戦おうとされたレジェンドと共に優勝カップを掲げられた時を、彼の人間性からでしょうか、私は感慨深くもどこか心地よく清々しい思いで振り返っています。